イラク支援に関する所感 (二月七日 イラク・バグダッドにて)
イラク報告書(三月三日)
PHOTO IN IRAQ 〜日本での回顧〜
| 2004年2月1日 成田〜モスクワ 2日モスクワ〜アンマン〜 3日 〜バグダッド | |
| TBS系の「報道特集」にて、“金かえせ!”の コメントの原因は、モスクワにて待たされたから。 19:30ごろにモスクワについたが、 トランジットホテルにチェックインが 22時になってもできませんでした。 その場にいた学生は朝6時にホテルを出発。 ホテル代の“金かえせ!”の一言でした。 |
|
| 飛行機からの景色。 モスクワからしばらくは雲海がひろがって、 その後の景色。 ちょうど夕暮れになって、 外はきれいな夕焼け色。 これからの旅を応援してくれる きれいな窓からの景色でした。 |
|
| 夜にアンマンに到着し、空港バスにて移動。 その後、いっきにバグダッドに向かう。 途中、ヨルダンの軍人がヒッチハイクをしました。 国境を越え、夜明けまで休息。 360度すべて地平線。 すばらしい日の出が待っていました。 |
|
| バグダッド手前のファルージャにて朝食。 ナンとカバブー(羊)です。 朝からボリュームもありましたが、 私は完食。 おいしかったです。 |
|
| 3日バグダッド 〜市内調査〜パレスチナホテル | |
| バグダッドに到着。 パレスチナホテルにチェックイン。 ここにくるまで、イラク人による検問、麻薬犬のチェック、 米軍のチェックを受けました。 そして、ホテルの手前には米軍の戦車が護衛。 厳重なるセキュリティ体制でした。 周りには鉄条網が張り巡らされています。 |
|
| ホテルの中はとっても、きれいでした。 お湯ももちろんでます。 周りのホテルが電話が使えない状況でしたが、 パレスチナホテルは大丈夫でした。 インターネット環境はあったのですが、 途中から使用不能に…。 |
|
| 市内調査。 米軍による、ピンポイント攻撃。 一部の壊れた施設には、ホームレスが住んでいます。 しかし、いつ崩れるかわからない状態…。 子どもに、「学校にいってるの?」と聞いたら、 しっかり学校にはいっているようです。 |
|
| フセインの住居があった場所。 完全に爆撃されています。 そして、裏の家も…。 子どもも含め、家族9人が…。 |
|
| 4日〜6日 〜サマワ〜 | |
| バグダッドより、サマワへ、車で移動。 途中、列車が走っていました。 また外をみると破壊された戦車車両も。 対向車には多くの米軍車両が走っていました。 米軍だけでなく、イラク警察も。 窓から銃口を向けながら、走っていました。 |
|
| 道中のあちこちでバザールが。 とっても賑わいがありました。 いつかの旅で、開発途上国、タイやベトナム、 中国に行ったような…。 とっても元気な街に感じられました。 本当に支援が必要なのか? 日本にいるころは食糧・物資が足りないと 思っていましたが…。 |
|
携帯の壁紙にいかが? ちょっと一息。 |
|
| イラクのごみ事情。 「すべては砂へとかえる…」 ごみも砂にかえるものだった。 文明が事情をかえてしまった。 ビニールを食べる羊。 羊を食べる人間。 これからさきいろいろな問題が起こっていきそうです。 |
|
| サマワに到着。 NHKの方々にもいろいろと助けていただきました。 ここはサマワから中継する際に使用される場所だそうです。 ついついうれしくなって…。 |
|
| 自衛隊のマスコミに対する報告。 われわれも参加させていただきました。 自衛隊のうしろには日の丸が。 これがテロリストにとっての、絶好の的になっているとか。 いろいろな点に関して、日本人の 危機管理に関して、再度検討する必要があります。 |
|
| 歩行者用の橋です。 多くの方が通行されていました。 そして、まちには野良山羊もいました。 まちでは多くのイラク人から声をかけられました。 日本人への期待は絶大です。 そして、日本人はお金を持ってくる人との認識も…。 |
|
| 街は本当に、活気がありました。 当初、あちこちサマワでも爆撃をされていると思っていました。 私だけの勘違いかと思い、日本で、友人に聞くと、 多くの方が、同様にサマワは爆撃されていると思っていた。 インフラも停電を計画的にはやっているものの、 基本的には大丈夫でした。 ではなぜイラクに自衛隊が行くのでしょうか? |
|
| サマワの病院を視察。 かつては日本の医療機器がたくさんあったとのこと。 今ではもう壊れてしまい、そして修理のできない状況で、 撤去したとのこと。 病院の機能としては問題はありませんでしたが、 衛生面が少々不安でした。 女医さんもおられました。 |
|
| 自衛隊の宿営地。 オランダ軍とイラク人とともに、宿営地の土地ならし。 イラクの重機も使用されていました。 この地の賃借をめぐって、いろいろと問題がおこっています。 支援とは何かを考えた上で、政治的判断をしてもらいたいです。 |
|
| サマワの駅です。 現在、一日4本の運行ですが、 駅の機能は壊滅状態。 なかにある大きなブレーンとなる機械は壊されていました。 産業の発展のためにも、はやく列車が通ってほしいです。 |
|
| サマワ出発の朝。 同行の高橋さんとともに。 今回は高橋さんに負担を大きくかけてしまいました。 足手まといになり、すみません。。。 |
|
| 7日 バグダッド〜ドーラ〜サッマーラ | |
| ドーラへ向かう。ドーラは1月まで爆撃を受けた地域。 行った数日前もCNNのクルーが襲われた地域。 ドーラの教会を見学。スンニ派、シーア派、 そして、キリスト教が共存しているとか。 その後、バグダッド大学にて取材。 中は普通のキャンパスライフ。 大学生は欧米風の方々も多くいました。 学生は日本の技術を学びたがっていました。 軍需産業が盛んであったイラク。 方向を見出すためにも、学術的なる協力が、 今日本にとってできる支援ではないでしょうか? |
|
![]() |
北にあがるにつれて、物々しさは増しました。 米軍の警備も手厚くなりました。 その中、スンニトライアングルの真ん中、サッマーラへ ここには52mの高さのミナレットがありました。 頂上には柵が無く、こわかったですが、 すっごく、きれいな眺め。 観光産業がとりもどされれば、きっとにぎわうでしょう。 |
| 8日 バグダッド〜アンマン 9日アンマン〜モスクワ 10日 モスクワ〜成田 | |
| 向こうではなんども、チャイをいただきました。 かき混ぜると甘くなりすぎるので、 かき混ぜずにいただきました。 香辛料がいろいろと入っていました。 |
|
| 地平線。 なにもない。 ただ砂と石だけ。 |
|
| 山も削られ、まっすぐな道路に。 平均時速は160km。 |
|
| 夕日が沈む、地平線。 | |
| ヨルダンの朝。 ほっとした夜をすごせました。 アンマンの街並みは坂が多かったです。 今度はゆっくりと観光もしたいものです。 死海で浮いてみたいですね。 |
|
| 飛行機からの朝焼け。 もうすぐ日本。 なんともいえない、気分でした。 まるでこのたびが夢であるかの様に…。 生きているって、すばらしい。 生きていないと何もできない! |
|
| 髭ものびました。 眉毛はそのままです。(笑) イラク人は眉毛がつながってる人が多かったです。(笑) 私は日本で顔が濃いといわれていますが、 向こうでは薄かったです。 これホント。 |
|